慢性的憂鬱

人生に安酒と本と憂鬱を

Oh my 20 day

 

二十歳の成人式に行かなかった私は成人式を迎えるその日、初めて自動販売機の裏で吐いた。

焼肉の食べ放題で食べすぎたからだ。いつも二人前以上を平らげるのだが、何故だか無性に胃が痛くなり帰り道に吐いた。盛大に。人生で初めて。2018年、記念すべき初ゲロ。

吐いてるときは苦しいのやら虚しいのやら面白いのやらでよく分からない感情だった。

吐き終わったあとは当たり前のようにすっきりとして、私の今までの人生の毒を少し吐き出せたかのような気待ちになった。もちろん気持ちだけだ。

妹と馬鹿みたいに肉を喰らい、「あの子がもう二十歳なんだねえ」「お前もな」とまるで他人事のようにダラダラと話した。

成人式に行かなかったのは、もちろん会いたくない人が沢山いる、行く意味が見出せない、振袖を着るお金があるなら旅行に行きたい、という私の超個人的な理由もあるし、ただ単純に自分が成人だという自覚が未だに無いから他人事のようにいられるのかもしれない。いや成人したことを受け入れたくないから、成人式という華やかな祭り事に惹かれないのかもしれない。

まあどうでもいい、私は行かないということだけだから。SNSやラインで流れてくる沢山の振袖を着た友人たちがとても綺麗で、みんなもれなく綺麗で、羨ましいかと言われたら、羨ましいとは思わない。ただみんな美しいなあと思う。本当に純粋に美しいなあと。

馬鹿みたいに騒ぐ見知らぬどこかの新成人たちも、朝から頑張って綺麗に着飾る女の子たちも男の子たちも、成人式に行かないと決めた子たちも、何となく行かなかった子たちも、行きたくなかった子たちもみんな、私からしたらうざったいくらい輝いていて、少し心がザワザワと音がする。ときめきに近いけどもう少し遠くにある違う何かが騒めく音が。

成人だろうがなかろうが、式に出ようか出まいが、この先の人生に何の影響も与えやしないし、行ったか行ってないかの事実しか残らないだろう。そこで出来る思い出たちだけが後に残るだけだろう。

私はただ、私が愛する全ての友達がこれでもかってくらい幸せに囲まれて、私が大嫌いなひとたちがみんなより少しずつ多くの不幸を覚えていけばいいなと思う。

私は私なりの覚悟を決めて、私は私なりの二十歳を見つけて、後悔も未練も惜しまず、何ものからも自由になることを諦めない。

死ぬことも生きることも進めないなら、そこに人生なんてありはしないのだ。

数年ぶりにゲロを吐いた自分に少し笑いながらこのブログを書いてみた。なんだこいつって思いながら読んでくれたら本望だ。

 

新成人の皆様、そして私、おめでとう。クソみたいな大人になるんじゃねえぞ