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慢性的憂鬱

人生に安酒と本と憂鬱を

死ぬよりは生きていようか

死にたい、という言葉を聞いた時のショックは何度 経験しても慣れない。慣れないし、聞き流せない。それは私が慈愛に溢れてる訳でも、心優しい訳でもない。ただ、その「死にたい」という言葉に込められた様々な思いに打ちのめされてしまうからだ。

そんな私も時々軽々とその言葉を口にしてしまう。何か失敗をしてしまったり、誰かの悪意に触れて傷付いてしまったとき、本当に簡単にまるで「コンビニに行ってくるよ」と同じような軽さで私はそれを口にしてしまう。死ぬことはそんな簡単ではないはずで、命を大切にすることは生まれてから一番最初に大人たちに教え込まれることなはずで、死を恐れて生きることがきっと正しいことである。

いつからこんなに「死」は軽く、選択しやすいものになってしまったのだろうか。本当に簡単に私がそれを口にするときと同じように、まるでコンビニ行くように、死を選ぶような人たちが増えているのだろうか。それとも、死を選ぶしかないような選択肢しか目の前にない子たちが多いのだろうか。

いや、きっと、どれも少しずつ違う。みんな生きていく辛さより、死を選ぶ重さのほうが簡単だと知っているからだ。例え、その死にたいが冗談でも、簡単に言ってしまえるほどに死ぬことは簡単で、そして楽になる方法だと誰もが知っているからだ。そして私は、それが間違いではないとは言いきることが出来ない。

死んでしまいたいと思うことは山ほどある。死より老いが怖い、生きていることの単調さにいつまでも馴染めない、いつもどこか憂鬱で死という選択肢をいつも横に置いている。

でも、それでも私は生きていようと思う。

何のために生きているか分からなくても、大切な人の香りが思い出せるうちは生きていよう。

他人の悪意に触れて傷付いてしまっても、瞳にうつる美しいものたちがそこにある限り生きていよう。

幸か不幸か、私たちはこの世界に人間として生まれた。さらに幸か不幸か、どんな運命を辿るかは分からない。他の子たちが死を選ぶ重さを選ぶのなら、私は生きる辛さを選んでみよう。

いま、その選択肢に立たされている子たち、どうか見ていて欲しい。生きる辛さを選んだ私の運命を。

だから、死ぬよりは生きていようか。